選択の自由

20年以上前、生まれも育ちも東京の自分に浜松の友人ができ、
彼の住む郊外?に泊めてもらっては、だらだらしたり、ピクニックに行ったりしていたんだけど、
その当時氣づき、今も変わらず思う事がある。

「心が安らぐ〜」のだ。

当たり前だろ!
都会から、空の広いところに行ってるんだから!
などのツッコミはちょっと待ってね。
なぜ、「心安らぐ〜」と思ったのかがミソなのです。

今から思えばまだましだったとは思うけど、
その頃からすでに都会は飽和した状態で、
実は「選べる苦しみ」がはじまっていた。
それに比べあの町は当時、大型薬局は一軒、スーパーマーケットも一軒、ビデオ屋も(古!w)、パスタ屋もラーメン屋も、
すべてあったとしても二〜三軒。迷ったり悩んだりする必要がなかった。

「だからなんだ〜」

そんな些細な氣づきがとても心地よく、自分の精神バランスにばっちり作用したあの時、
「あ、これを応用すれば、人生に集中できるな」と思えたのは今も自分の宝だ。

現在。
ポイントカードはお持ちじゃ無いですか?
袋にお入れしましょうか?
レシートはよろしかったですか?
ちょっと歩いてもこういう目に遭う。

そこまで選ばなきゃいけない?
勝手にしてくれよ。
あなた達が決めてくれ。

実は、何にも無いって心が安らぐ。
実は、不便てアイディアを育てる。
一度便利を知ってしまうと、そこから離れるという行為は苦しみに似ている。
手離したくないから、誰もが追いつこうとし、また、術を知ってる人間は偉いという錯覚に陥り、
ついていけない人はそこから取り残されたかのような感覚となり、
それは劣等感から、酷い場合には鬱や統合失調症などとなって本人に襲いかかってくる。

「そのすべて」から飛び出したようなところに行く、という強い信念で臨もう。
「言われたからヤル」なんておぞましい。
使っても使われるな。
自分が主役なんだ。
雇われてるとか自営業とか分けたって誰も面倒なんか見てくれないぞ。な勢いで。

その時の必須条件は「自分の身の回りの多くを把握できてる」かどうか。
ん?できてるできてないじゃなく、その氣があるかどうか、か。
「知らない」とか「知ったフリ」も精神バランスにいいとは思えない。

でも、自分こそ消費文明の中心的職業、第三次産業に属し、ココまで解っているのに、
お金を稼ぐ為にものを作り、自ら宣伝し、地球を汚す。
知りつつ、問題視しつつも活動し、結果を出す事を要求された状況でビョーキにもならず、
明るい未来を創造する事にほんの一役買えうる存在になるには、続けるためには、
一体どうすればいいのか。。。。

「自分で敢えて狭める」というスキルを持ち込んで、冷静さをキープする。
「狭める為に」選択する。
選んだ事以外を実行しなければならないときには冷静に、
期間や範囲を決め、
極めてすす〜ッと行く事に集中して、
長居はしない。

つられないために。

変な癖がつかないよう自分を見張る。

もちろんルーティンを決めて、ヨガやサーフィン、ビーガン、
もしくは煮込み料理にハマるなんて事も有効だと思うが、
そこに行き着かない人はそんな感じで生きればいいんじゃないかな。

お金払えればどこにだっていけるよ。どこにでも入れるには入れる。
文字通り、「死ぬほどの選択肢」。
選択してるうちに人生終わる。
決めて打ち込もうよ。
できる事から。
「無限の可能性」なんていらね〜な。

ぽわ〜んとした話しですんません。
プリント刷ってたら降りてきた感覚。

長い独り言。